Michiyo’s Journal

ハンガリー紀行 Vol.7

散歩の後井崎先生が連れて行ってくれたのは、川向こうの瀟洒なレストランだった。ここのシェフはハンガリーの郷土料理を一味違うものにしてるんだよ、と、井崎先生は言う。給仕されるごとに覚えたてのキュセネム(これが全部ウムラウトなのだ)というと、ボーイはにっこりする。でも、井崎先生は、発音悪いよ、と、丹念に私の発音を直すのだった。どうして、そんなに最後が長くなるの?と呆れていう先生に私は恥ずかしくて理由を言うのを躊躇した。kuesse nehmって覚えちゃっていたのだから。ありがとうの代わりにキスをとるってかんじ?ああ、こんないい加減な覚え方するから、変な間違え方になっちゃうのだ!
風邪はだいぶ良くはなっていたが、体力をつけるためにセロリのクリームスープをいただいた。たっぷりの量に驚いたけれど、美味しくてペロリと平らげた。メインはハンガリー風の豚を焼いたもの、脂のところをカリカリに焼くのだそうだ。これまたボリュームたっぷりだったが、肉は完食。噛み切れない皮をスルメのように噛んでいたら、なにをしてるのと井崎先生が呆れる。きっとジプシーの人たちはこれをガムのようにしていつまでも噛んでいたんです、やってみます?と勧めてみたが、誰もそんなことしてる人見たことありません、と、なおさら呆れられてしまった。香ばしくてなかなか美味しくて、スルメみたいだったんだけど…食べ物がない時代はきっとずっと噛んでいたに違いない、と、こっそり私は思ったのだった。
夕食が済むと、外はすっかり暗くなっていた。私は井崎先生にお願いをした。あの枝を、菩提樹の枝を一枝折ってください。自分で折ればいいじゃないのと言われたけれど、だって折って渡してほしいんです、自分で折ったのでは状況が違うんですと、意味不明な説得をしながらさんざん頼んだ。
先生はとっても気が進まなそうだったけれど、ごめんね、と、菩提樹に謝りながらひと枝折ってくれた。優しい人。だから私はこの先生に指揮を習おうと思ったんだけれど。先生から渡されて、私はその香りを嗅いだ。胸いっぱいに。

Ich atmet einem Lindenduft
今月の二つのコンサートで歌う、マーラーの歌曲。あなたの手で折られた菩提樹の香りを、と、私は歌うことになっているのだ。私はそれを体験したかった。あの詩ではあんなにせがんで折ってもらったのではないのだろうけれど。

菩提樹の香りは強くはない。爽やかで微かなのだ。それを胸いっぱいに吸おうとすると、私は自分が、菩提樹の枝にキスをするように葉ごと顔に押し付けているのに気づいた。そっか、そういうことか!

ホテル近くで車から降りると、月の光に照らされて、私はホテルへと歩いた。石畳に月はくっきりと教会の尖塔を映し出していた。いろんな鳥の鳴き声が響く。街はその他に音はなく、ひっそりとしていた。なんと静かな街なのだろう。騒音が苦手でテレビもつけない私には、とても幸せな時間だった。ひんやりした清らかな空気が私を包んだ。

ホテルに戻ると、コップに水を入れて、私は菩提樹の枝をそこに生けた。私は以前生花をやっていた。嵯峨御流(なんという偶然か、斑目さんは嵯峨御流の師範でもいらっしゃるのだそうだ)だった。こんな生け方では、と恥ずかしくなったけれど、なんだか嬉しくてどうでもよかった。私はベッドの横に菩提樹を置くと、何度も静かにその香りを嗅いでみたのだった。
Ich atmet’ einen linden Duft! Im Zimmer stand
Ein Zweig der Linde,
Ein Angebinde

Von lieber Hand.
Wie lieblich war der Lindenduft!

Wie lieblich ist der Lindenduft! Das Lindenreis
Brachst du gelinde!
Ich atme leis

Im Duft der Linde
Der Liebe linden Duft.

ハンガリー紀行7

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2016-06-16 | Posted in Michiyo’s JournalNo Comments »