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2016-06-08

イスラエル紀行 Vol.4

どうもあの黒い石の上で生まれたことになっているのだ。それならどうして馬小屋で生まれた子いうことになってしまったのか。ついでに言えばその影響を受けて厩で生まれたことになっている聖徳太子は、厩戸と呼ばれていたではないか、と、つい先日行った法隆寺を思い出した。そういえば、2000年前はここまで馬で入れたと言っていた。扉の外には馬をつなぐための石の穴や、靴の泥を落とすためのものまであった。旅の途中でここで馬を休めた、そんな場所だったのかもしれない、と、ちらりと思った。

私の耳はまだ聴こえなかった。全てがすごい残響を残して頭の中で響いた。そこかしこでミサが行われ、頭の中で増幅されるように聴こえた。この高い地で、気圧や乾燥の影響で、いろんな生理現象が起きる。人々がここに独特の感覚を抱くのに、それも手伝っているのかもしれない。

出口近くの大理石の柱は修復のため覆われていた。その一つの覆いを外しながら、ガイドが言った。
『9メートルの赤い大理石の柱です。』
象が運んだのだという。その脇の床のガラスの下に、私が立つ床と同じ模様のモザイクがあった。
『326年にこの教会が作られた当時のオリジナルです。』
それは少々色あせてはいたが、その形を美しく保っていた。

その脇に木の柱。十字架の形で5つの穴があいている。この穴に指を入れてお願い事をすれば叶うという。私はこの先ちゃんと歌えますようにと願った。そのそばから、同行の本田さんがおっしゃった。
『斑目さんによると、神仏には感謝するだけで、お願い事をしてはいけないんだそうだけどね』

本田さんは会社の社長さんで、本田さんの会社は空気中の成分を調べる機械を売り買いしているのだそうだ。今回せっかくイスラエルに行くならどこが見たいかと聞かれた。とにかくイエスが生まれた場所と死んだ場所は見たいと言うと、斑目さんと本田さんがいろいろ手配してくださったのだった。音楽で占められている私の人生にとって、この場所は重要だった。私はここにある人々の祈りを体に染み込ませたかった。あちこちに触りながら、全てから何かも私の体にとどめたかった。ここにある音楽の源を貪欲に吸収したかった。が、本田さんの言葉にふと、この貪欲さとここにこうしていられることへの感謝が表裏一体となっているのを感じた。私は自らに宣言した。歌う、と。

教会を出て元来た道を戻っていくと足元を猫が通り、スズメが餌をつついている。猫もスズメもどうも色が薄いのだ。この地では動物は色が薄くて人間は色が濃い、などと愚にもつかないことを考えながら坂を下り、ラジャイたちと合流すると公園へと向かった。

ここに斑目さんが20年前に寄付したという平和の梵鐘があるのだという。いろんな宗教が渦巻く中で、仏教まで、より複雑だと反対の意見もあったそうだが、すべての人が仲良くという願いが受け入れられて公園に設置されたという。私たちはバラ園の中を歩き回ったが、見当たらない。が、インターナショナルガーデンの中に日本庭園を見つけ、入っていった。はじめに目に留まったのは、大きな灯篭だった。窓の一つが六芒星になっている。そういえば、伊勢神宮への道の灯篭にも六芒星が付いていたのではなかったかしら?その隣には美しい石碑。正面に『花、水、人、愛』
と書かれている。後ろを見ると斑目さんの名前があった。その斑目さんがホテルで私たちを待っていた。一緒に夕食をとることになっていたのだ。早く帰らねば。もう、夕方になっていた。

ホテルに着くと、私たちは庭で夕食をとった。子供達のためのアトラクションか、大音量で歌うのが聴こえてきたが、レストランの中の寒さよりは耐えられた。前菜としてたくさんのサラダが並んだ。お気に入りはクリーム色のペースト。レンズ豆のペーストにオリーブオイルがかけてあるものを浅黒い丸いパンにつけて食べるのだ。メインディッシュが来るまで、なんとかお腹を空けておかなければいけないのだが、見たことのないものを見るとつい好奇心が勝って手を伸ばす。メインディッシュの前に私のお腹はほぼいっぱいになった。
メインディッシュはステーキだった。レアでと頼んだのにウェルダンだった。本田さんはミディアムと注文したが、私のより硬そうなウェルダンだった。じゃあウェルダンと言ったら何が出てくるんだろう。炭じゃないかな、と誰かが言った。
1日のうちの寒暖差は激しく、昼間は35度くらいだったのにすっかり涼しくなっていた。足元を猫がすり抜けていく。猫がたくさんいる国だなあ。ペルシャ猫とかシャム猫とか、この近辺の国から出たんだものなあと思いつつ猫を呼ぶと、寄ってくる。猫を撫でながら、日本で留守番をしている私の猫が寂しがっていやしないかとふと思った。知らない鳥の声が夜のエルサレムに響いた。

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