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2016-06-08

イスラエル紀行 Vol.6

万国民の教会を出ると、私たちは隣の教会に向かった。どんどん階段を降り、教会に入っても入り口からは降りる階段だった。ガイドは嬉しそうに、この大理石の階段は44段あるのだと言った。階段の脇にも多くの祭壇があった。ガイドはその祭壇の一つの脇に座って眠っている老人に話しかけた。90歳だという。私は軽く会釈をしたが、老人はマスクをしている私を胡散臭く思ったようだった。

広い階段はツルツルとして、人々が歩いた跡が磨耗している。暗い階段の上にはわずかに明かりがあるのだが、その奥で行われるミサの音が響いて少々不気味だった。若い聖職者が青い足まで覆う服を着て香炉を振り回して歩いていた。一番奥の祭壇で、首にエリマキトカゲのような飾りをつけた聖職者が歌うように祈りを捧げていた。その前の祭壇の脇には小さな入り口があり、もう一人の聖職者が身をかがめながらそこを出たり入ったりしていた。私はふと善光寺のお戒壇巡りを思い出した。あちこちにイエスの生涯を描いた絵があった。

その教会を出ると、入り口のすぐ左に小さな入り口があった。そこはユダがイエスを裏切った場所なのだとガイドは言った。中に入るとここでもミサが行われていた。そこは洞窟だった。洞窟の奥に祭壇が設けられていた。20脚ほどの椅子がその前に並べられていた。床には所々ガラス越しに古い床が保存されているのが見える。こんな洞窟だったのか!むき出しの天井はやはりエルサレムストーンで明るい肌色だが、その上に丸の中に8つの花弁のある花の模様が無数に描かれてある。正面にはイエスと弟子たちの絵が描かれているが、弟子の数は11人だった。

ガイドに促され、私たちは外に出た。次は西の壁だった。ガイドはその外で車を停めると私たちに行けと言った。彼はアラブ人だから入れないというのだ。私たちは車を降り、入り口をくぐった。入り口は男女分かれていて、持ち物検査をする場所があった。マスクをとって近づくと、守衛が私のカバンを受け取り、中をうっすらとかき回し、私に返した。真ん中のファスナーを開けようとさえしない。あまりの雑然さに呆れて嫌になったんじゃないか、あれでは銃を隠していてもわかりゃしない、と、私は本田さんに言った。本田さんは笑って、プレッシャーをかけるためだけじゃないかなと言う。そして写真を撮ろうとすると鋭い声がとんだ。写真はダメ、そう言っていた。本田さんは教えてくれてありがとうと言いながら、携帯をしまい、石畳の上を少々緊張しながら私たちは壁へと向かった。
すると、数人が私たちに声をかけた。あっちへ行けと言っているようだった。それじゃあ、と本田さんについて私もそちらに行こうとすると今度は私がとめられた。女性はこっち、男性は向こうなのだというのだ。嘆きの壁は5分の2くらいのところで仕切られて、向こうが男性こちらは女性が祈る場所になっていた。私には全く読めない文字が書かれたものを手にしながらたくさんの人たちがそこで祈っていた。壁に頭を押し当てて祈る人もいた。もしかしたら、みんなそこで自分が壁に頭を押し当てる順番を待っていたのかもしれない。壁の石の切れ目にはくしゃくしゃになった紙がいくつも詰め込まれていた。向かって右の階段を上ったところに小さな部屋があるようだった。その中でもたくさんの人が祈っていた。仕切りの向こうでは、独特の黒い帽子をかぶり髭を伸ばした人たちが同じように祈っている。西の壁というのだけれど一体何だろうこれは?全く勉強しないで行った私にはさっぱりわからなかった。高校での選択は世界史だったけれど、共通一次試験の失点のほとんどはその世界史だった。どこかで読んだような気がしたがさっぱり思い出せなかった。
後から調べたところによると、西の壁はユダヤ教の聖地だった。神殿の壁の一部が残っていて、ユダヤ人たちはその神殿が壊されたことを嘆き、ここで復活を祈るというのだ。壁に詰め込まれた紙も、祈りの文句を書いたものだという。1925年の嘆きの壁事件はアラブユダヤ戦争の引き金になったというのだ。だから、ガイドは入ってこれなかったのか。私たちにとっては誰がアラブなのか見分けがつかないけれど、こちらの人にはわかるのかもしれない。とにかく、嘆きの壁は、とても平和に見えるこの国の中で、初めて不穏な空気を感じた場所であった。
壁の正面の出口を出てみて元に戻れないことがわかり、急いで写真を撮り、私たちはもう一度セキュリティチェックを通ってさっき入ってきた入り口に向かった。セキュリティチェックは今度はもう少し入念だったが、やはりファスナーをあけてまでは調べなかった。アラブ人でないことは見るからにわかるということかな。エジプト人には間違えられるかもしれないけれど。だいたいここにいて、肌の色はこの辺りの人に遜色ないのだ!!!

出口を出るとガイドが連れて行ってくれたのはジャファゲートだった。一時間後にここに戻って来いと言われて、私たちはおろされた。この奥にゴルゴダの丘がある。イエスが死んだとされる場所である。

私たちは迷った。私は自慢できるくらい方向音痴である。本田さんも方向音痴なんです、とニコニコしながら言う。その二人が歩き回るから大変だ。せっかくガイドが近くにおろしてくれたにもかかわらず、私たちはテクテクと門の外に出て、壁伝いに道がなくなるほどのところまで来てしまった。のんきに、7つの門ってなんでしたっけとか、こんな砂みたいに見える断崖絶壁の上にある建物が落ちてくるんじゃないかとヒヤヒヤするなどと言って道がなくなるまで歩いた私たちは、そこで迷ったことに気がつき、来た道を引き返した。振り出しに戻る。そしてもう一度サイコロを転がした、いや、違った、ゴルゴダの丘へと歩き出した。

ところが、どうやら一本道が違ったのだ。さびれた商店街を通って突き当たると右へと続く道はものすごく細い道だった。この国が地震の頻発国でなくてよかった、今地震があったら大変だなどと思っていると地震と同じくらい驚くことが起こった。この道を貨物車が走ってくるのである。貨物台を付けた自動車は、その長い車体を折り曲げて、角を曲がろうとしていた。『まがれるの?何がしたいんだ!うまくいくわけないよ!』訛りの強いドイツ語を喋る人たちが大声で言った。何しろ二人並んで歩くのもぶつかるくらいの道なのだ。人はどんどんそこに溜まってきた。私たちはひかれそうになりながらその脇を通り抜けることができ、先へと歩を進めた。

イスラエル紀行6

イスラエル紀行6.1
ユダがイエスを裏切ったと言う場所

イスラエル紀行6・2
嘆きの壁。金曜日から土曜日の日が沈むまでは安息日でユダヤ教徒は働かない。
その間は嘆きの壁も写真撮影できない。偶然出口を間違えたので、外の金網の間から撮った写真

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