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2016-06-08

イスラエル紀行 Vol.7

一体目的地はどこにあるというのだろう。時間に少々焦りながら必死に探した。まっすぐ行くと西の壁とかいてある。あらまあ、またあそこへ戻ってしまいそうだ。歩き回っていつも同じ場所に戻ってくる迷路ゲームでもしているような気分だ。だが、ようやくその小道の脇にふと開けた場所があった。そこには大きな教会があった。私はそこの門番をしている人に聖墳墓教会の場所を聞いた。すぐそこ、1分で行ける、と示された先にゴルゴダの丘はあった。

実はこの時私はこれがゴルゴダの丘とはわかっていなかった。イエスの墓だとは思っていたけれど。入ってすぐのところに大きな光る大理石が横たわっていて、人々はそこに跪き、石に口づけをしていた。きっとこれがイエスが死んで埋葬されたとされる場所なのだろうと私は思った。私も跪き、石に触ってみた。あの那智黒石のようなベツレヘムの石と同じ感触がした。ペタッと肌に張り付くような不思議な感触。多くの人の思いを受け取って、生き物のようになってしまっている石に、女性たちは抱きつかんばかりに跪いていた。イエスの埋葬をするために香油を塗ったとされる石。香油の香りが立ち上ってきそうに思えた。
右側の階段を人々が上がっていくのを横目に見ながら、私たちは左側へと向かった。そこにも祭壇があった。人々は列をなしその中へ入るのを待っていた。そこは復活したイエスが現れた場所だというのだ。少し並んでみたものの、ガイドとの待ち合わせの時間が気になった私は列を抜け、教会の残りを歩き回った。

広い教会だった。香油石の向って右側に、洞窟の壁がガラスで覆われて展示されているところがあった。みんなそれを写真に撮っているので私は尋ねた。
『これはなんですか?』
知らない、とその女性は言って笑った。そのあたりにいる人みんな知らないという。一体なんなんだろう?わからないけれど私も写真を撮った。こちらの教会はどこも無料で入れるけれど、全くなんの説明もない。日本ならそこにプラカードが掲げてあるだろうにそれもない。くる人たちは入念に下調べをしてくるのだろうが、私にはさっぱりわからないことばかりであった。教会の奥は階段になっていて、どこまでも深い洞窟を下るとその先にも祭壇がある。あまりにもたくさんある祭壇の、どれがなんなのかわからないが、一番奥には何もなくて、ただろうそくがたくさん捧げてあった。私たちは待ち合わせの時間まで後8分になったのを知り、急いでそこを離れた。
後で調べてわかったのだが、ゴルゴダの丘がどこなのかはわかっておらず、ローマ帝国のコンスタンティヌス帝がここであろうとして教会の建設を命じたことに始まるそうである。そして、その時みそこねた二階が、ゴルゴダの丘とされているそうなのだ。そんなこととはつゆ知らず、私たちは片っ端から歩く人を捕まえて、ジャファゲートの場所を聞いた。帰りはあっという間だった。こんなに近かったのか!あれほど迷ったというのに。あっけないように思いながら車に戻ると、停めてあったのはダビデの門の博物館の前だった。この奥に最後の晩餐の場所があるよ、と、運転手は言った。

この肌色の街でいろんな事件が起こったのだ。不思議な気持ちだった。明るい色彩、余すところなく日が照りつける、この乾いた地で。車窓から見える風景はどこも柔らかい優しい色彩だった。これから死海へ行くんだよと運転手は言った。

途中でラジャイが乗り込んできて、私たちは死海へ向かった。標高800メートルくらいからマイナス427メートルへ。ものすごい標高差に私の耳はより聴こえなくなった。咳も出てきたが、ラジャイは死海の水はすべての病気を治すのだという。死海の泥が体の毒出しをする。悪いところはすべて治るよ、と。運を天に任せてみよう。いつもの風邪の経過である。喉が痛くなり、鼻にきて、咳になる。もう一度鼻に戻っておしまい。早く過ぎ去ってくれれば、セレモニーに間に合うはずだ。
全く準備の足りない私は水着も持ってきていなかった。途中の店で車を停めるとラジャイは店の女性に私の水着を調達するように言った。女性は私に一対のビキニを渡した。何本かの水を買い込み、私たちは死海へと向かった。
死海のその場所は入場料が必要だった。一人57セケル。ビキニは70セケルだったから、あまり変わらない。施設使用料なのか。中に入ると更衣室やシャワーが完備されていた。
私たちは着替えると、階段をずいぶん降りて死海へと向かった。あちこちに塩の塊があった。海岸の砂は焼けて、立っていられないほどだった。気温は48度。あれは木陰での気温で、実際は56度だ、とラジャイが言った。

イスラエル紀行7

イスラエル紀行7-1
聖墳墓教会の入り口
イスラエル紀行7-2
イエスがなくなった時香油を塗ったとされる台

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