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2016-06-09

イスラエル紀行 Vol.11

朝起きると、声が出なかった。じゃあ歌う声は?と歌ってみると出る。良かった、でも、これはとにかく回復を早くしないといけない。
十時半には市長が来て朝食を一緒にするはずだったので、私はもう一度ベッドに戻った。時差のために早く起きてしまう。空はもうすっかり明るくなっていた。海にかすかに白波が立っているのがベッドからも見えた。ずっと夢の中にいたように現実味がなかった。それが、イスラエルについて以来初めて、現実感が湧いてきた。目覚ましをかけてもう一寝入りすると、私は階下の朝食会場に出かけた。

日曜日の朝だからだろうか、こんな時間でも朝食会場は開いていた。ユダヤ教徒は金曜日と土曜日を休み、日曜日は勤労初日になるのだそうだ。だから、このホテルでは金曜日と土曜日の夜は温かいものがレストランで出てこない。昨日の晩も疲れた私がスープを所望しても、コックがいないからないのだと言われたのだった。

ネタニア市長は大柄の女性だ。ここでいつも私たちに付き添ってくれるシュロミ社長曰く、彼女はガンを持ってこの地にやってきて、どんどん企業を誘致したのだそうだ。どこまでが冗談かわからないけれど、初めてネタニア市長を見た私はすぐに彼女がガンを持っている姿を想像してしまった。うん、似合っている!!!自己紹介すると彼女は私に聞いた。あなたは本当に日本人ですか?こちらの血が混じっているのか、と。

私はよく日本人かと聞かれる。日本にいても、日本語お上手ですねと言われる。一番ひどいのは父で、インドにしょっちゅう行っていた父は、『インドにはお前みたいなのがいっぱいおるぞ』というのだ。その話をすると、みんな、もしかして、お父さんの秘密の子か、と言われるが、ちょっと待って、インドに行ったのは父であって、母ではないのだよ!!!母も妹も色白だし、私ほど顔の凹凸が激しくないのだが、歌のせいもあって高い頬骨、日に焼けた肌、小さい時ベッドの中で過ごしたせいか、背が伸びて、そのあと水泳を必死にやったので肩幅がしっかりあって、妙な組み合わせで、こんな風になってしまった。それでも、私は純粋な日本人で、父にも母にもそっくりなのである。ついでに言えば息子も私にそっくりだが、彼は日本人に見えるなあ!

だいぶ脱線してしまったが、私は純粋な日本人だと答えた。すると市長はきっと何代か前に混ざってるんだ、と、頷きながら言った。そして通訳の男の子を指差した。彼はお母さんがオーストラリアに住んでいたユダヤ人で、お父さんが日本人なので、私たちにとっては彼はユダヤ人なのです、と市長は続けた。なるほど!わたしにとっても、彼はどう見ても日本人ではなくユダヤ人だった。ユダヤの帽子をかぶっていたせいもあるけれど。
話はそれるけれど、ユダヤの帽子は髪にピンで留める。パチンと挟む銀色のピン。わたしはずっとただ載せているのだと思っていた。年齢が高くなると、その場所の男性の髪が減るから、頭を守るために考案されたのかと勝手に思っていた。だが、ピンで留めるのだ。髪の毛がなくなったら留めようがなくなってしまう。
彼の短く刈った髪の上に、丸い帽子はピンでとめられていた。特徴的な鼻。まさにユダヤ人だった。でも、彼は流麗な日本語を話す。静岡県に住んでいたらしい。

イスラエル紀行11
ラマダホテル支配人、ネタニア市長、斑目さんと

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