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2016-06-10

イスラエル紀行 vol.14

起きて身支度をして階下に降りると、もう皆さんお揃いだった。スケジュールは前から渡されているはずだけれど、そういうことに疎いわたしは、今日のスケジュールを本田さんにもう一度聞いた。数字の羅列…時間の羅列やお金の羅列を見ると目が拒否するので、そういうことを何も覚えていないのである。これでよく秘書が勤まったものである。あ、つとまってないか!わたしは自分に最も合わない職業だと思ってやめたのだから!
車でプラネタニアに着くと、すぐに控え室へ。ところが式典の時間になっても始まらない。待っても待っても始まらず、結局一時間は遅れて始まったのだった。式典の初めに国歌を歌うのだが、これを交換して歌った。日本人のわたしがイスラエル国歌を歌い、イスラエル人の少女が日本の国歌を歌ったのだ。そうして、またわたしは控え室へと戻り、様々なスピーチとアトラクションが披露された。わたしの歌は最後だった。

<動画>西村直記さん イスラエル紀行より
イスラエル国歌 Hatikvah ハティクヴァ

暖かい国では時間の感覚がルーズな気がするのは偏見だろうか?わたしはきっとそうなるのだろうと勝手に想像していたので、飲み物を準備し、携帯もフル充電して、ゲームをして出演の順番まで時間をつぶしていた。ピアノを担当してくれるジャネットさんは、楽器が良くない、時間が遅くなるというので、すっかり意気消沈していたので、刺激しないように時々肩をなでるだけで声をかけなかった。西村さんが時々楽しい話をしてくださったり、本田さんが顔を見せてくださったりして気がまぎれるけれど、わたしよりも、ずっと着物で待機せねばならない斑目さんのお嬢さんが大変だったに違いない。着崩れぬよう座り方に気をつけて、それでもずっと笑顔でいらした。
わたしは子供のようにゲームに興じたり、少し眠ったりして、ようやく出番となった。予定より二時間くらい遅くなっていた。
風邪の影響もなくわたしは演奏を楽しむことができた。お客様にはとても喜んでいただけた。終わると何人か、オペラは聞いたことがなかったけれど、オペラが好きになったと言いに来てくださった。是非本物のオペラを見てくださいとわたしは言った。
これも含めて斑目さんの当地へのプレゼントなんですとわたしは言いたかったけれどうまく言えなかった。斑目さんは、音楽がとてもお好きなのだ。わたしの声は体全部が共鳴する生きたスピーカーコーンになっていると斑目さんは言ってくださって、ずっと応援してくださっている。今回のプラネタニアの開館に当たって、飯田さんに歌ってほしいなあと、斑目さんがおっしゃったのが、イスラエル渡航のきっかけになったのだった。
音楽には国境はない。音楽の中にあるのは愛と意志だけ。人の心の持つ最も美しいもので音楽はできているのだとわたしは思う。聞いてくださる方々がもともと持っている愛をより光らせるために存在しているのだと思う。こうして見知らぬ国でも聞いてくださる方と心を共有できるのはなんと幸せなことだろう!

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飯田&ピアニストのジャネットさん

式典の後、私たちは打ち上げの会場へと向かった。どうやら疲れていたらしい。空腹を埋めるためにパンを食べたら、すっかり眠ってしまっていた。名前を呼ばれて驚いて前へ行くと、ネタニア市長にプレゼントをいただけた。手作りのブローチだった。

翌日、私たちはまたプラネタニアへと向かった。今度はまた違う行事のためであった。

イスラエル紀行14-1
イスラエル紀行14

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