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2016-06-10

イスラエル紀行 Vol.15

イスラエル紀行15 イスラエル紀行15-1プラネタニアの脇に道ができた。その道にある日本人の名がついた。命のビザを発行した杉原千畝さんの名前である。
その記念式典が行われた。私たちはまた昨日のホールに入った。だが、今度は観客席にわたしは座った。わたしの前の席に杉原千畝さんの息子さんが座っていらした。息子さんは、お父さんにそっくりだった。
いろんな方々があいさつした。その中で一人、とても印象に残るスピーチがあった。歴史学者小名木善行さんのスピーチだった。確かこんな内容だったと思う。

日本人にはもともと人種差別という意識はなかった。これが杉原千畝の命のビザにつながっていると思う。歴史学者として日本人の人道主義の例をもう一つあげたい。杉原千畝のビザ二年前、2万人のユダヤ人が満州国の駅に押し寄せた。この時樋口季一郎氏が臨時の救出列車を出し、すべて救出した。これはナチスから抗議を受けた。東条英機は、ドイツの属国ではないという主張を受け入れて不問とした。日本人には古来こういった人道主義が染み付いているのであり、みんなでそれを行うのだ。

そして、樋口季一郎さんのこの言葉で締めくくられた。

20世紀の今日、ユダヤに対する追放を見ることは、人道主義の名において、また人類の一人として、私は心から悲しまずにはおられないのである。

わたしはその頃の杉原千畝さんを思い、樋口季一郎さんを思い、多くの戦争犠牲者を思った。命の危険、家族の危険を覚悟して他人の命を救うために行動した人たちの心を想像し、救いを求める人たちの苦しみを想像した。涙が止まらなかった。そして今も、世界には戦争で罪もなく殺されていく人たち、国を追われていく人たちがいるのだ!

無力なわたしに何ができる?愛を育て、愛を歌うしかできない。歌う!と、またわたしは自らに宣言した。

スピーチの後、私たちは外へ出て、杉原ストリートが除幕された。

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