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2016-06-10

イスラエル紀行 Vol.16

杉原ストリートの除幕式は、炎天下のもとで行われた。多分ここは昼間であればいつも炎天下なのだろうけれど、とにかく目を開けているのが難しいほどの日差しだった。わたしはいつものごとく帽子もサングラスも忘れてしまっていた。これだからどんどん日焼けする!ついでに言うと太陽の光を浴びるのは大好きなのだ。いくら大好きとはいえ、あまりにも暑くて困っていると、そばにいた女性がこうするといいとスカーフを頭にかぶって見せてくださった。なるほどとわたしもスカーフを頭から巻いた。目だけを出して顔全体に。すっかりこちらの人の風体になったわたしを見て、本田さんが下を向いてこっそり笑った。
そうこうしているうちにいつの間にか除幕式は終わり、テレビの取材などもあったようで、公式行事は残るは大使館から招かれている夕食会のみとなった。私たちは一旦ホテルに戻った。
ホテルの前には海が広がっている。風のない日は波もないのだが、その日は強い風が吹いていた。地中海は穏やかで、日本の海のような激しさはないけれど、それでも風は白い泡の波を幾重にも海岸に運んでいた。鮮やかな色のパラグライダーがすぐ近くを飛んでいた。その向こうをトルコ石のような青がどこまでも透き通って広がっている。弧を描く水平線の上は澄み切った青い空が広がっている。ホテルの前にはヤシの木が植えられていて、ところどころにオブジェがある。イルカのオブジェもあって何やら可愛らしさを添えている。後から聞いた話だが、このイルカのオブジェは25個もあって子供たちがモザイクタイルで着色したのだという。どうしているかなのかと聞くと、ただいるかが好きなのだという答えが返ってきた。ドイツのどこかの町で同じようにたくさんの牛のオブジェが置いてあったことを思い出した。あれも子供たちが色付けしたと言っていたな。

夕方私たちはスタジアムへと出かけた。夕食会はその中のレストランで行われた。25名程度の夕食会だった。和やかに食事がほぼ済んだ後に、隣の席のサミュエルさんが、歌ってくれないかと言った。

実はもしかしたら、と、わたしたちはその準備をしていた。せっかくだから西村さんの歌を歌おうと思っていた。わたしは西村さんからコンピュータを貸していただいて、彼の曲を聴き、それを五線紙を作って書き取り、来る途中の車の中で間違えのチェックをしてもらっていた。初見にはなるけれど、多分歌えるだろう。西村さんと掛け合いのデュエット、ぶっつけ本番、作曲家の前で間違えるかもしれないけれど、西村さんならこの状況下許してくれそうだった。
ところが会場にはピアノがなかった。仕方なく西村さんとわたしはアカペラでデュエットした。ピアノだけの場所は西村さんがボカリーズでつないだ。

『こだまでしょうか』

アカペラだったから、それこそ私たちの声がこだまして響いた。これはこれでいいような気がした。
席に戻るとサミュエルさんがアンコールというので、今度はアカペラでサマータイムを歌った。こちらでの素晴らしい経験全てへの感謝の気持ちで。

わたしはいつも、パーティに招待されて歌ってと言われても、ほとんど歌わない。もちろん仕事としてパーティで歌うときは別だが。歌うのを仕事としている以上、どこでも歌ってしまうと、わたしの歌に対価を支払ってくださる方に申し訳ないと思うから。でも、今日は歌いたかった。何かの形で、斑目さんやイスラエルの人たちに感謝の気持ちを表したかったのだ。歌い終わると、より一層皆さんのワインは進み、笑い声で満ちて行った。その日は本田さんの誕生日でもあって、みんなでお祝いもし、最後にはダンスまでした。ガラスの向こうでスタジアムがレインボーカラーのイルミネーションを刻々と変化させていた。

現地の新聞に斑目記念宇宙研究センター開所の記事が大きく載った日だった。

 

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